映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『ストリートファイター 暗殺拳』 ファンが原作の物語を汚れなく堪能したい時に観たい映画

ストリートファイター 暗殺拳

公開:2014年5月23日(イギリス映画)

上映時間:105分

監督:ジョーイ・アンサー

脚本:ジョーイ・アンサー

撮影:ジェームズ・フレンド

編集:オリバー・パーカー

出演:マイク・モー、クリスチャン・ハワード、小家山晃、ジョーイ・アンサー、伊川東吾玄里、他

 

あらすじ

暗殺拳をルーツとする格闘技を弟子のリュウとケンに指導する剛拳だが、その極意である波動の力を教えることには躊躇いがあった。自身が若いころ、弟の豪鬼とともに師の轟鉄から暗殺拳と波動を学んでいた際に、波動の暗黒面である「殺意の波動」に取り込まれていく豪鬼の姿を目にしていたからであった…

 

レビュー目次

 

 原作に忠実な実写映画

この映画は80年台後半から稼働しているビデオゲームストリートファイター」のストーリー、特に主人公であるリュウとケン、そしてその師匠である剛拳と隠しボスでもある豪鬼のストーリーを忠実に実写化した映画だそうだ。

むかしから格闘ゲームが好きで自身もこのゲームをプレイしていたという家の者から見ても忠実度が高いという。若い頃に雑誌『ゲーメスト』やムックで読んだ設定と同じであったと言っていた。

なんでも、監督、脚本をして、自ら豪鬼役もこなしている俳優のジョーイ・アンサーがこのゲームのファン過ぎて、それまで世に登場していた「ストリート・ファイター」の映画の多くがゲームの設定や物語から乖離していて不満であったらしい。不満すぎて自分で作ってしまったそうだ。世の中には奇特な愛好家がいるものだ。

家の者も愛好家であるから、私のような猫でも「ストリートファイター」なるゲームの存在を知っている。よく茶の間でガチャガチャとスティックなるものこねくり回しながら「波動拳波動拳!」、おまけに「昇~竜~拳」とテレビ画面より叫ばせているのを耳にしている。この猫の目からしても、あの「竜巻旋風脚」なる体技の物理的法則がいまだにわからない。

そんなもので、当映画にもこの三種の技がしっかりと登場している。体躯のいい若い日本人とアメリカ人と中年の師匠が、体の中の気を練る構えや、ジャンピングアッパー、跳んでから回し蹴りを恥じらいもなくむしろ真剣にやってみせるのだから子供が喜びそうである。ちなみに当時子供であった家の者たちは童心に帰るように喜んでいた。

波動拳の構え、いわゆる「型」というものにも原作を懐かしめる忠実性があるとのことで、殺意の波動の「型」では「豪鬼だ」と家の者は唸っていた。そこまでくると愛好家(マニア)にしかわからない領域である。

 

原作のマニアではないので「健康」に例える

マニアではないものからすると、劇中の物語を楽しむことになる。その物語を咀嚼して解釈を拵えてみようとすると、おおまかには「強い力を求めすぎると暗黒面に陥るので心と体の均衡と調和を保つことが重要である」といった所になるだろうか。 まるで健康の指南書にも書かれてありそうな秘訣である。

実際、格闘術を健康のための運動と置き換えて見てみるとなかなか合点がいく。健康を求めるあまり過度な運動をして体を痛めつけてしまえば本末転倒である。それでケガして周りに迷惑をかければ、そのやり方は間違っていると周りも忠告したくなるだろうし、先生もそれはやってはいけないと禁止するだろう。

まあ、本編で暗黒面に堕ちた、もとい求めた豪鬼は、師匠の命を奪って自分こそが最強であることを示して次の伝承者の地位を手に入れようとするわけであるから、そこらの血なまぐさいところは「健康」には例えられまい。

剛拳豪鬼の師匠である轟鉄の姪「サヤカ」を巡っても、本来の恋仲であった豪鬼が立ち去り、夫婦となる約束をした剛拳とも轟鉄の死後に心が通じなくなってしまっているのだから、やはり「健康」に例えるには重すぎよう。

ただ、重すぎるがゆえに、あえてそれで例えると、原作のゲームをプレイしたことがない者でも楽しめるものである。健康のために女を捨て、健康のために仮面夫婦となるというのもそれはそれで滑稽である。その際、マニアからは作品への冒涜であると怒られるかもしれないが、世に放たれた作品をどのように解釈するかなどは、お金を払って鑑賞した者の特権であるのだから、誰にも文句は言わせない。

 

暗黒面と調和

何にせよ、リュウ殺意の波動を感じ取ったり、滅波動を放ったり、轟鉄戦で豪鬼瞬獄殺を放ったり、「天」の文字が浮かんだり、家の者は興奮しきりであった。

「天」の文字を背負う経緯は、おそらく脚本家の解釈でり創造であると思われるが、ドラマがあって納得のいくものであるとも家の者は語っていた。

ストリートファイター愛好家からすれば、汚れなく物語を堪能できる実写映画であろう。

この映画を観ている家の者の反応を観察していると、むしろ「原作を忠実に再現しない実写映画というもののほうが原作を冒涜しているだろう」と、思えてくる。

さて、そんな家の者たち、つまり愛好家からすると「健康」で例えたりすることは、鑑賞者として精神が暗黒面に落ちていると見えるかもしれないが、これも「調和」であると猫の私は主張したい。

すべての視聴者にそれくらいの心の余裕を与えてもバチは当たるまい。そのほうがこの映画をより多くの人に観てもらえて、ストリートファイターを好きになる人が増えるかもしれないと考えるのである。

 最後にどうでもいい話だが、私は波動拳の中に猫の手のビジュアルが浮かんでくれないかと願う猫である。

あしからず。

 

 

【参考動画】


『ストリートファイター 暗殺拳』 予告編