『誰も知らない』
公開:2004年8月7日(日本)
上映時間:141分
監督:是枝裕和
製作:是枝裕和
脚本:是枝裕和
撮影:山崎裕
編集:是枝裕和
出演:柳楽優弥、北浦愛、木村飛影、清水萌々子、韓英恵、YOU、他
【あらすじ】
新しくアパートに引っ越してきた4人の兄妹とその母親。仲の良い家族だが、父親がそれぞれ違う4人の兄妹は学校にもいったことがなく、長兄以外はアパートの大家にすら存在を知らされていなかった。ある日、母親は僅かな現金とメモを残し、男を追いかけて長らく家を留守にする。「誰も知らない」子供たちの誰にも知られない生活が始まる…
レビュー目次
- 史実の事件をもとに制作されたドキュメンタリータッチの映画
- 子供たちだけで学校も行かずに家からも出ずに生きていく怖さ
- 妹の弔い
- 母親の責任とかそんなレベルじゃない
- こんな時に観ればいい作品
- 【参考動画】
史実の事件をもとに制作されたドキュメンタリータッチの映画
この映画は実際に起きた事件をもとに作られている。
心理描写など多数の創作があるが、子供たちが「誰も知らない」状態で生活し、そして死者が出た事件が存在していたのだ。
私のような万年家に閉じ込められて家屋の中でしか生活というものを知らないネコならまだしも、高度な社会環境で生きる人間にもこんなことがあるなんて驚きだ。
現実に起きた事件をもとに、ドキュメンタリー演出家の是枝裕和氏がメガホンを取り、ドキュメンタリーカメラマンの山崎裕氏が撮影をしているため、極めてドキュメンタリーのような映画に仕上がっている。時間を掛けて撮影したことにより、髪が伸びたり背が伸びたり出演者たちが本当に成長している過程も散見できるので、見ていると次第に創作に思えなくなってくる。
子供たちだけで学校も行かずに家からも出ずに生きていく怖さ
彼ら子供たちだけの生活が始まったとき、長兄で12歳。一番下の妹は5歳だ。クリスマスまでに戻ってくると言っていたのに、年が明け、次の夏がやって来ても彼らは4人で人知れず生きている。
外に出るのは買い物に出る長兄だけ。ほかの3人、特に下の2人はベランダに出ることも禁じられていた。
母親が作ったこの家のルールを見れば見るほど、外に出ると逃げ出して迷子になるからと家の中に閉じ込められている我ら家猫のように思えてならない。
我々家猫がまだ恵まれているのは、それでも飼い主が帰ってくることだ。そして毎日エサを与えてくれることだ。
4人の兄妹の場合、そのうち現金も底をつき、電気も水も止められてしまう。
食事は、仲良くなったコンビニの店員さんたちから賞味期限の切れた廃棄のおにぎりなどをもらい、水は公園から汲みに行くのだから、都会にいながら漂流しているようなものだ。
4人は登校拒否をしている中学生の女の子と知り合ったことで外に出るようになるが、そのうちベランダから落ちた一番下の妹が死んでしまうことになるのだから、家猫なんかと比べ物にならないくらい幸が薄い。
はっきり言おう、エサを与えられるだけまだましな家猫でも、家の中にずっと閉じ込められていると、ただそれだけで鬱になる。そして時々発狂したくなるものだ。
それ以上の理不尽な境遇下に置かれているのだ、4人の心情と精神衛生を想像すると恐怖で身の毛がよだつ。
妹の弔い
作中、長兄が当たり散らすシーンがあるが、あれこそが普通の反応、もっともな反応だ。
そこまで追い込まれていながら、しかし妹が死ぬと彼ら彼女らは死んでしまった妹を自分たちでトランクに入れて自分たちで穴をほって自分たちで弔っている。
絶望の中で、なぜそこまでできるのか、私にはわからない。もはやこの家猫には到達し得ていない精神の領域に、中学生以下の子供たちが達してしまったとしか言えない。
それとも、誰にも知られないよう生きてきた習性なのか、死んだことすらも誰にも知られないようカラダが反応してしまったのかもしれない。いや、そんな悲しい習性もないだろう。
妹が死んでも、それでも生き続けようとする彼ら彼女たちに日の光が照らされるシーンがあるが、彼ら彼女らがスゴイ精神の高みに昇り詰めているようで、私にはもう同情すらもできなかった。
母親の責任とかそんなレベルじゃない
同情することも、何故か怒ることも忘れてしまう彼ら彼女たちの健気さに、それでも後からフラストレーションが芽生えた。子供たちをあんな理不尽な境遇にした母親はいったい何をしているのだ!と、そんな怒りも後から湧き上がってくる。
母親はたしかに悪い。逮捕されて当然だろうことをした。だが、そんな母親ばかりを責めたところで、兄妹たちを救うことはできないだろう。それもわかってしまうから、得体の知れないフラストレーションをさらに抱えてしまう。
母親の「私にも幸せになる権利がある」といったセリフは胸に刺さるものがある。もともと長兄の父親に理不尽に捨てられたことから、こういう生活が始まったようなのだ。そのことを聞かされた長兄は、自分自身に罪はないのに後ろめたさを感じてしまって、律儀に母親不在の中で妹たちの面倒をみ続けたのだ。
また、仲良くなっているコンビニ店員から児童相談所に行くことを提案されても、過去に同じようなことがあって面倒なことになり、4人一緒に暮らせなくなることがわかっているから却下している。
どこまでも妹弟たちを守ろうとするこの責任感の強さはどんな社会風習が作ったのか。その社会風習のお陰で彼ら4兄妹はさらに追い込まれていっているのだ、この社会の風習そのものにも疑問を抱きたくなってしまう。
さらに社会と言えば、仲良くなった不登校の女子中学生が、お金も底をつきてきた4兄妹を気の毒に思ってカラオケだけとは言え援助交際をしてお金を渡そうとしたシーンにも社会の縮図のその理不尽を感じずにはいられない。人知れず都会で漂流生活をしている子供たちもいれば、カラオケをオッサンと一緒に歌っただけでお金が手に入ってしまう中学生もいるというこの格差。女子中学生は平気な顔でおっさんからお小遣いをもらってしまうけど、長兄は援助交際だということで受け取ることをしなかった、このモラルの差にも社会の理不尽、いや、社会そのものの歪みを感じずにはいられない。
母親だけが悪いでは片付かない、もっと大きな、社会の仕組みにまでその責任を求め、変えなくては彼らのような子は救えない、そう思えてしまうのだ。
こんな時に観ればいい作品
最後になるが、世の中に理不尽を感じて社会に対してイライラをつのらせ、果てはその理不尽に負けそうになっている人はこの映画を見るといい。自分以上の理不尽な境遇に立たされる中学生以下の子供たちが世の中にいたことを知ることによって、自分が感じている理不尽がまだまだ小さなものであることを知れるだろう。兄妹たちは、それでも健気に生きていったんだ。