『ピクセル』
公開:2015年7月24日(アメリカ)
上映時間:105分
監督:クリス・コロンバス
脚本:ティム・ハーリヒー、ティモシー・ダウリング
原作:パトリック・ジャン(2010年短編映画『ピクセル』)
製作:アダム・サンドラー、クリス・コロンバス、アレン・コヴァート、マーク・ラドクリフ
音楽:ヘンリー・ジャックマン
撮影:アミール・モクリ
編集:ヒューズ・ウィンボーン
出演:アダム・サンドラー、ケヴィン・ジェームズ、ミシェル・モナハン、ピーター・ディンクレイジ、ジョシュ・ギャッド、マット・リンツ、他
【あらすじ】
1982年に開かれたビデオゲーム大会の模様をビデオに撮り、NASAが宇宙人との友好目的で宇宙に打ち上げたところ、それを見た宇宙人が自分たちの星を侵略する宣戦布告と受け止めてしまい、地球に戦争を挑んでくることに。しかも世界を侵略せんばかりの規模ながら当時のゲームそのままのビジュアルとルールで。対抗するため82年のビデオゲーム大会で準優勝したサムが幼馴染で現・アメリカ大統領のウィルに呼ばれるのであった…
レビュー目次
80年代にいっぱいゲームセンターへ行っていた大人へ
日本で任天堂からファミリーコンピュータ(ファミコン)が登場したのは83年。その数年前からビデオゲームとしてパックマンやインベーダーゲームなんてものも登場し流行っていたので、80年代に中学生、または小学生だった人たちからすれば作中に登場するゲームは懐かしいタイトルばかりだろう。
誰が作ったんだろう?なんて思うのは野暮というもので、同じように80年代に中学生、または小学生をしていて、勉強なんかせずにゲームセンターに入り浸っていたような大人(現在はオッサン)が作ったんです。
もう最近のゲームはグラフィックが綺麗すぎて、ゲームが複雑すぎて、スマホゲームでは二次元美少女ばかりで…そういったものに辟易としたり、ついていけなくなっていた人たちに、80年代のビデオゲームって面白かったんだよと思い出させてくれるような映画だ。
あの頃、何の役にも立たないのにゲームばかりしていた人たち、作中では「オタク」の「負け組」が世界を救うのだから、同じような「オタク」だった現・大人たちを励ましてくれるような映画でもある。
また同時に、現代っ子にレトロゲームの楽しさを伝える映画でもあろう。
ゲームなんて何の役にも立たないというのは過去の話
本作は子供の頃にゲームばかりしていた負け組の「オタク」が昔とった杵柄ことゲームの技術を活かして世界を救う人生逆転のドラマとなっている。また作中、「古いゲームが得意な負け犬だ。無駄な少年時代が役に立ったな」というセリフがあるように子供の頃にゲームをばかりしていても基本的に世の中にも将来にも何の役にも立たないものだと世間では思われていたのだろう。いや、大人世代ではいまもそう思っている人が多いかもしれない。
ところが現代に目を向けると、世界を救出するなんて物語みたいなことはないにしても、プロゲーマーなる職業が登場してeスポーツなるジャンルも確立され、ゲームをすることで人によってはプロスポーツ選手のように年間何千万(億単位に行く人もいるらしい)と稼ぐというのだから、子供の頃にゲームに夢中になることが「無駄な幼少期」とはならなくなっている。
この映画はそのあたりの未来を示唆しているようでもあり、ゲームをバカにできないことを世の中の特に大人たちに向けて訴えているのではないかと思えてならない。
クラシックアーケードゲームもいつかはeスポーツに?
この映画は、いわゆるクラシックアーケードゲームやレトロゲームと呼ばれるむかしのゲームを最新のCG技術や映像技術を使って近未来的に演出している。プレイする様子もまるで体感ゲームのように進化させている。
これらを見ると、いわゆるクラシックアーケードゲームやレトロゲームなんてものも今の技術によってeスポーツとして楽しめるゲームに進化させることが出来るのではないか、はたまたクラシックアーケードゲームやレトロゲームのeスポーツ化を促しているのではないかと、そんな風にも思えてくる。ゲームばかりをしていても無駄ではないという希望を、現代の子供たちだけではなく、大人(オッサン)にも持たせようとしているようにも思えてくるのだ。
世の中、ロボットやAIの登場によって単純労働がなくなり、人間たちは文化的活動に労力を使う時代になるかもしれないそうだけど、いわゆる「オタク」たちが陽の目を見る時代がこの映画のように訪れるのではないかとそんな予感までした。
人間も、そのうち我々ネコのようにのんびりとくだらないことに時間を使って生きていく生き物になるのではなかろうか。この映画を観ながら、そんな未来まで思い馳せた。
あしからず。
【参考動画】