映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『霊幻道士』 怖いもの見たさをライトに叶えたい時に観たい映画

霊幻道士

公開:1985年11月7日(香港)

上映時間:96分

監督:リッキー・ラウ

脚本:シートゥ・チャホン

製作:サモ・ハン・キンポー

 

出演:ラム・チェンイン、リッキー・ホイ、チン・シュウホウ、ムーン・リー、ポーリン・ウォン、他

 

あらすじ

ある日、富豪ヤンから先代の改葬を依頼された道士カオがその墓を掘り起こしてみると呪いがかかるように埋葬されていた。20年前に埋葬したのに腐敗していないその遺体を見て、キョンシー化が進んでいることを悟ると、対処するためカオは自分の義荘に持ち帰るのだが、結局凶悪なキョンシーが一体誕生してしまうのだった…

 

レビュー目次

 

いわゆるサモハン・ホラー

ジャッキー・チェンやユン・ピョウたちと香港映画の一時代を築いたサモ・ハン・キンポーは、アクション映画の俳優としてよくその姿を見かけたが、同時に監督、製作としても活躍していた。その中にはホラーも作っており、『妖術秘伝・鬼打鬼』を始めとするそれらはいわゆる「サモハン・ホラー」と呼ばれていた。『鬼打鬼』とそれに続く『霊幻師弟 人嚇人』『霊幻百鬼 人嚇鬼』はサモハン・ホラー3部作とも呼ばれ、この『霊幻道士』(原題は『殭屍先生』)もその4部作目に数えられている。ただ、のちにキョンシーブームなんてものまで誕生したくらい『霊幻道士』そのものがヒットしすぎてしまって、そのまま霊幻道士シリーズを確立してしまっている。

シリーズの人気が一時相当高かったせいでその背景を知らず観ていたい人も多く、『霊幻道士』はそもそもサモ・ハンによって作られたということを知らない人も多かったりする。私を飼う主もその一人だった。

 

アクションホラーコメディというジャンル

キョンシーブームの始まりでもある同作。

子供の頃にこの映画を観たという私の主は、当時、襲ってくるキョンシーが怖かったそうだ。噛まれたり爪で突き刺されたりすると自分もキョンシーにされてしまうなんて設定もあるのだから、小学生からすればそりゃビビるだろう。

ところがだ、この映画はホラーであるもののアクションホラーコメディだ。アクションホラーと言うのはわかるが、そのうえにコメディまで付いてくる作品だ。

ホラーとコメディってなんか矛盾してないって思うかもしれないが、そんな矛盾をワンパッケージにしてしまっている力作なのである。

これは『鬼打鬼』ときからずっと続いているジャンルで、サモハン・ホラーの真髄とも言える。

大人になってこの『霊幻道士』を観ると、どうやら子供の頃には気づかなかったコメディ要素に気づいてしまうようで、怖いという感情よりも笑ってしまっていた時間のほうが長かったそうだ。怖いようでやりとりがコントのようだし、むしろホラーであることを忘れてしまっていたという。

いや、それはすごくわかる。

この猫の目からしてもこの映画はホラーではなくコメディだ。

登場人物たちが真面目に怖がっているからホラーのように見えても、怖がりすぎてその動きが結果として滑稽に見えるのだ。

最後にキョンシーが大暴れしていても、その暴れっぷりまで笑えてくる。

むちゃくちゃ敵が強いのに、アクションが次々と展開しておまけにカッコよく、そしてそんな中にもコメディ要素を盛り込んでくれるので、『アラレちゃん』のようにどんだけ痛めつけられても登場人物(主要人物たち)が死ぬことはないであろうギャグマンガのような安心感まであるのだ。

 

「怖いもの見たさ」をライトに叶える時に

 

人間というのは不思議なもので「怖いもの見たさ」というおかしな心理もあるようだ。

ホラー映画なんてジャンルがあるのも、それを満たすためであろう。ただ、怖すぎてもダメだという人も少なくない。

怖いのは嫌だけど、でも怖いもの見たさもちょっと試したいという矛盾にも似た感情を抱く方には、このホラーとコメディという矛盾したような要素を見事にかけ合わせたエンターテイメント作『霊幻道士』が打ってつけであろう。

この映画は、ホラーでありながらコメディ要素をとても見つけやすいのでホラーとしてはかなりライトなのだ。

ライトに「怖いもの見たさ」を満たしてくれ、そして気がつけば笑っていられるのだから、心のデトックスも半端ない。

 

ライトなのにすっきり感も強いって、なんと費用対効果(この場合の「費用」は心の「負担」)の高い作品だろうか。

ステキだ。

 

【参考動画】


映画予告編 「霊幻道士」