『白鯨との戦い』
公開:2015年12月11日(アメリカ)
上映時間:121分
監督:ロン・ハワード
脚本:チャールズ・リーヴィット
制作:ジョー・ロス、ポーラ・ワインスタイン、ウィル・ウォード、ブライアン・グレイザー、他
音楽:ロケ・バニョス
編集:マイク・ヒル、ダン・ハンリー
出演:クリス・ヘムズワース、ベンジャミン・ウォーカー、キリアン・マーフィー、ベン・ウィショー、トム・ホランド、ブレンダン・グリーソン
【あらすじ】
19世紀半ば、作家・ハーマン・メルヴィルは、かつて巨大な白鯨によって沈められたエセックス号の乗組員の生き残りであるトーマスという男を訪ねた。当時の話を誰にもしたくなかったトーマスであったが、その口を開くと想像を絶するクジラとの死闘と漂流生活の様子が語られるのであった…
レビュー目次
当時の捕鯨の仕方がわかる
『白鯨』という小説を書いた作家・ハーマン・メルヴィルは実際にあったエセックス号の沈没を元に『白鯨』を書いたと言われている。巨大なクジラと戦う創作ではなく、そのエセックス号の乗組員たちがかつて現実にどのように巨大クジラに襲われ、どのようにしてサバイバルをくぐり抜けて生還したか、そこにスポットを当てているのが本映画だ。
小説『白鯨』でも、石油がまだなく鯨油のために捕鯨が行われていた19世紀初頭のクジラの捕まえ方が細やかに記されているが、その『白鯨』の元ネタになった沈没事件を扱った本映画でも捕鯨のシーンがしっかりと描かれている。それを見ると、機械とかではなく腕で銛を投げてクジラにダメージを与えているのだから恐れ入る。しかも手漕ぎのボート数艘で追い回して捕まえるのだからたくましい話だ。
迫力もあるので映像資料になりえそうな気さえする。
ほかにも捉えたクジラの頭のなかに潜って油を回収したり、そのときのニオイが強烈であったり、そういった点も知らない人からすれば「へぇ」と勉強になる。
30メートルクラスの巨大なクジラには勝てない
そんな力強い男たちでも30メートルクラスの白鯨には勝てない。準備もしていないのだから当然だろう。
小説『白鯨』では巨大なクジラに狂気のような敵意を剥き出しにて挑んでいく物語であるが、このエセックス号の話はクジラが捕れなくてさらに遠くへ船を進めたところ、噂にしか聞いていなかった巨大な白鯨に遭遇して、その圧倒的な力で船をあっという間に破壊されてしまうのだ。
それまで多くのクジラたちを油目的で捕獲し殺してきた人間への復讐であるかのように、または天罰であるかのように為す術なくやられている。
怖ろしいことに、船を破壊されて複数のボートで逃げても巨大クジラはひっそりとあとを追いかけてもいた。そして改めてそのボートにも攻撃を加えている。
どんな執念なんだという話だ。これまで海を我が物顔で渡り、そこの生物たちを自分たちの望むままに獲っていたのだろうが、海で調子に乗っていると痛い目にあうということだろう。
最後に遭遇した時には、銛で射抜くチャンスが有ったのに主人公のオーウェンはクジラと目があってその攻撃をやめている。あのクジラの目にどんな意味があるのか? どんな攻撃をしかけても結局転覆させられて死ぬだけと訴えているのか。いや、もしかしたら巨大な白鯨としてはただ遊んでいただけなのかもしれない…。いずれにしても海をナメていると、クジラをナメていると、命がいくつあっても足りないことがわかる。
死ぬよりも辛いサバイバル
船を潰されボートで逃げた主人公たちは一度無人島に避難し、そこから再びボートで海を渡ろうとしている。中には無人島に残った者もいる。最終的には、どちら側にも死者を出しているのだからどちらの選択が正しいかなんてものもわからない。
たとえ生き残ったとしても、生き残るために死んでいった仲間の死肉を食べてしまったという、宗教的にも道徳的にも許されないであろうことをやってしまっている。
生き残るためには仕方のないことなのだろうが、それによって背負ったカルマは死ぬよりも辛いものであろう。
そう、海を、クジラをナメていると、死ぬよりも辛い目に合うのだ。
ボートに乗って無人島を脱出した者の中には耐えられずに銃で自殺してしまった者までいる。小説家のメルヴィルに述懐するトーマスも、それまで死肉を食したことをずっと隠していた。隠さないといけないくらい罪深いものだと思い、その罪悪感にずっと耐えなければならなかったのだ。
それ、考えると、ホント辛い。
生き残ったものたちはその贖罪を、ある者は島に残ったものを助けに行くことで、またトーマスのようにすべてを話すことで果たしている。
自分たちが助かったからと、あったことをなかったことにしていると、海の恐ろしさは次代や後世に伝わらない。克服する知恵も発達しないだろう。
この映画は、それらの伝承のためにも一役買っているような映画なのだ。
改めていう、海やクジラをナメてはいけない。
日本にはまだ捕鯨の文化があるけれど、捕るにしても原罪やそのあたりを心得て捕る必要があるのだろう。(捕鯨反対の海外の人からするとストレートに「捕るな」と言いたいのかもしれないが)
この猫の目にはそう映った。