映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『スーサイド・スクワッド』 正義とは何かを考えたい時に観たい映画

スーサイド・スクワッド

公開:2016年8月5日

上映時間:123分

監督:デヴィッド・エアー

脚本:デヴィッド・エアー

製作:チャールズ・ローヴェン、リチャード・サックル

音楽:スティーヴン・プライス

撮影:ローマン・ヴァシャノフ

編集:ジョン・ギルロイ

出演:ウィル・スミス、マーゴット・ロビージャレッド・レトジョエル・キナマンジェイ・コートニー、ジェイ・ヘルナンデス、アドウェール・アキノエ=アグバエ、カーラ・デルヴィーニュ、他

 

あらすじ

スーパーマンが死亡したことでメタヒューマンの新たな対抗策として終身刑無期懲役刑の極悪人(スーパーヴィラン)たちで構成する特殊部隊タスクフォースX(通称「スーサイド・スクワッド」)が結成されるが、そのうちの一人であるラスボスこと魔女「エンチャントレス」が逃走、人間をおぞましい怪物兵士に変え、さらには怖ろしい兵器を作り出して人類滅亡を企てるのであった。これを倒すため、スーサイド・スクワッドの極悪人たちが動き出す…

 

レビュー目次

 

 

正義ってなんだろうか?

正義の味方のスーパーマンでも破壊力ありすぎて被害に巻き込まれた人達からすると危険因子に見えてしまえば、一方でどんな極悪人でも人類のために戦ってくれたら正義に見えてしまう…

この映画は『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』から続く「正義とは何か」を問いかけてくるような作品だ。

ただし、活躍する極悪人たちは基本的に自分勝手で、首に埋め込まれた爆弾のため仕方なく出動しているだけであるので、正義の探求をするような重い雰囲気の作品でもない。

悪を退治するために悪をぶつけるという構図なのだから、一般庶民である多くの視聴者からすれば、むしろ気楽に見ていられるものだ。たとえばスーサイド・スクワッドのメンバーが戦闘で誰か死んだとしても、「まあ極悪人だし」と簡単に割り切れてしまえるのだ。人類を滅亡させようとするさらなるスーパーヴィランを退治してくれるなら、正義側が苦労することはないので儲けたものだと思うものだろう。言うなれば漁夫の利を得る根性である。

そしてその根性は、極悪人とはいえ人間をただのチェスのコマでしか見ていないということでもあるので、その浅ましい考え方は本当に正義なのかと、ここでも正義なるものを考えさせられるものである。

 

極悪人でも人類のために戦えば正義

極悪人と呼ばれるそんなスーサイド・スクワッドのメンバーたちにも、それぞれに人間らしい背景がある。娘に会いたいと思うスナイパーもいれば、自分の能力で家族を死なせてしまって苦悩するものもいる。人殺しを生業にしたり一般人が理解できない常軌を逸した行動を取りながらも人間味のある側面も垣間見せられると、それはそれで一般庶民でも同情や共感をしてしまうものだ。さらには、本当にラスボスである魔女を倒してしまうのだから、人類のために大仕事をやってのけた彼らは、その一瞬、人類のためには正義であったと見えるだろう。

それはまた、この現実において素行の悪さから普段より自身は少なくとも正義ではないなと自覚する者、または周りからそのように思われている者からすると痛快でもあると同時に、自分たちならず者であっても正義として活躍できるチャンスが有るものなのだと勇気のようなものを与える。

それはつまり、正義の側がよく口にする「希望」というものであって、極悪人が悪人のために希望の光を照らすのである。

またしても正義なるものがなんなのか、わからなくなってくる映画である。

 

悪人を利用する米国政府は悪?

正義がなんなのかわからなくなり、極悪人が希望の光を照らすような存在であると思いこんでしまうと、今度はそれら極悪人をコマとして利用するだけの米国政府こそが悪であるかのように思えてくることもあるだろう。

人間の正義なるものなんて面白いもので、個々人の内側でその正義なるものの価値基準が決まってしまうのだから、個々人の価値観が変わってしまうと、先日まで正義だと思っていたものも途端に悪へと見えてしまうのだ。

ただ思い出してほしいのは、この映画の世界では人類の驚異となるメタヒューマンなる敵がいて、米国政府もそれと対抗するため、人類を守るために極悪人も利用しているということだ。

その点に着目すると、スーサイド・スクワッドも適材適所という発想になる。「DQNな社員でも配置を変えると成果が上がった」なんていうどこかの企業の事例のように人材を活かしているわけだ。

「人材を活かす」ということを善悪の秤にかけてみると、多くの人はそれを善と見るであろうから、スーサイド・スクワッドを活用する(「利用する」とはもう書かない)この米国政府もまた多くの人からすれば正義となるであろう。

これらのことから、たしかに正義なるものは個々人の内側でその基準を決められてしまうものであるかもしれないが、「人材を活かす」の例でもあるように人類にとって誰しもが納得できる「正義」というものもあるだろうもので、その「正義」を追求していくと案外人類の平和に繋がってくるんじゃないかと、そんなことも考えさせられる映画でもあった。

 

不思議なもので変態であろうハーレイ・クインが次第と可愛く見えてくるこの映画。

そういえば「かわいいは正義」なんて言葉もあるなと思いだしたことを蛇足として付け足しておきたい。

あしからず。

 

【参考動画】


映画『スーサイド・スクワッド』予告1【HD】2016年9月10日公開