映画ソムリエを目指す猫

〇〇なときに観たい映画をレビューしており候。

『ラストサムライ』 武士道を学びたい時に観ておきたい映画

ラストサムライ

公開:2003年12月5日(アメリカ)

上映時間:154分

監督:エドワード・ズウィック

脚本:ジョン・ローガンエドワード・ズウィック、マーシャル・ハースコビッツ

製作:トム・クルーズ、トム・エンゲルマン、スコット・クルーフ、他

音楽:ハンス・ジマー

撮影:ジョン・トール

編集:スティーヴン・ローゼンブラム、ヴィクトール・ドュ・ヴォイス

出演:トム・クルーズ渡辺謙真田広之小雪、小山田真、ティモシー・スポール、ビリー・コノリー、他

 

あらすじ

アメリカ南北戦争にて北側の英雄とされながらも、無関係のインディアンを殺していったことでトラウマとなりアル中になっていた大尉・ネイサンは、ある日、近代化を目指す日本政府より近代兵術の指南役としてオファーを受け、日本に渡ることになった。ところが、いまだ反乱を続ける勝元一派と戦闘になったネイサンら一軍は壊滅、彼は勝元の捕虜となると、その村にて侍たちの生き様を目にしていくのだった…

 

レビュー目次

 

 

アメリカ人が作った武士道映画

私は日本に生を受けて日本で生きているネコなので、時代劇を多く見て侍がどんなものかも見慣れている。日本に住む日本人ならたいがいそうだろう。

刀を持って主君のために戦い、生き恥をさらすくらいなら潔く切腹して、切腹した相手に介錯(首をはねてやる)もしてやる、恥と名誉と情けの戦闘集団だ。

その精神性も日々の生活に根付く情けの価値観からなんとなく理解できている。外国人からするとしかし、それは矛盾が多い思想なのだそうだ。それでもこのように映画作品としてアメリカ人が描こうとするのだから、矛盾なるものでも何か惹かれてしまうものがあるのだろう。

そのアメリカ人たちが何を読んで武士道を描こうとしたのかわからないが、この日本には『葉隠』という書物がある。聞書第一の二にていきなり「武士道といふは、死ぬ事と見付たり」と記される武家倫理の本だ。武士道の精神がなんたるかが書かれてある。ただ、少し難しくもある。

武士道の本といえば、ほかにも新渡戸稲造が書いた『武士道』という書物もある。こちらは新渡戸が侍たちの思想がどんなものであるかを外人向けに外人にもわかるように書いたものであるので、現代日本人が読んでもまだわかりやすい。

その『武士道』よりわかりやすく武士の精神というものを目の当たりにできるのが、このアメリカ人が描いた白人が主役の『ラストサムライ』だ。矛盾が多いなんて言いながら、よく武士道を描けていると思う。

 

どの時代にも戦争によるPTSD心的外傷後ストレス障害

主人公である北軍の英雄・ネイサンは、自軍が罪のないインディアンを見せしめのために虐殺するのを目の当たりにし、また自身も参加したことでトラウマを抱くようになっている。

戦後も時々その残酷な光景を思い出しては酒に溺れ、どこか自暴自棄になる姿は、今で言うPTSD心的外傷後ストレス障害)であろう。

戦場で兵士が心の傷を追うのは、いつの時代でもあるようだ。

それはおそらく西洋に限らず、この日本でも有り得そうなものだ。実際、怨霊となって化けて出るという物語もある。それらはPTSDの一つの例だろう。

しかし本物の武士の精神性を描いた時代劇においてはそういった怨霊の類はなかなか出てこない。PTSDというものもなかなか描かれない。

それはなぜかと言えば、トラウマを抱くような戦を本物の武士たちはしないからである。

この『ラストサムライ』の本編においても、そのあたりを上手く描き分けている。

ネイサンがいた北軍は罪のない者たちを殺したのに対し、侍たちは常に相手に敬意を持って命のやり取りをしている。相手の恥となることは武士の情けでさせず、切腹する際は介錯も務めてやる。それらの所作や倫理観を守ることでたとえ敵軍の兵士の生命を断ち続けていても、一切の恥じなくむしろ誉れとして受け止められるのである。

それはつまり精神をコントロールできている。

その精神のコントロールこそが武士道の真髄であり、武士のあらゆる所作や作法、そして思想はそのコントロールの「方法」なのである。

 

死ぬことが美徳なのではなく武士道の結果として死ぬだけ

ラストサムライ』の本編では、最後、勝元一派とそれに手を貸すネイサンは負けることをわかっている戦に出、そして敗れている。勝元たちの命の散りぶりから、武士道では死ぬことが美徳であると思われそうであるが、あれはそういったものでもない。『葉隠』の「死ぬことと見付けたり」の後にも書かれてあるように武士は犬死をしない。しかし、主君のためには死ぬことができる。勝元の主君である天皇が死ねと言えば、または用済みであると言えば死ぬことができる。そしてまた、畏れ多くも主君が何か間違った道を歩んでいると悟ったときは、自分たちの命を使ってその旨を伝えるのである。勝元たちの死は、その忠義を果たし切った、つまりは武士道をやりきった結果に過ぎないのだ。

この精神性は私利私欲にまみれたアメリカの軍人になかなか理解できない。クレイジーであるとも思われるだろう。

だが、その武士道の一連の精神があれば、少なくともPTSDを発症させるような罪のない者への虐殺行為は行わないだろう。

古くは日本の精神性も「和」を重んじてきていた。

近代化のためにアメリカから技術を取り入れることはあっても、人種が違う相手を残酷に殺してしまうような性格まで取り入れる必要はない。精神までかぶれてはいけないのだ。和を重んじる日本の伝統をこれからも守り続け、その上で一国として独立していく必要があると、勝元の死が教えてくれるている。

そして教えてくれたのが当のアメリカ人が描くこの作品なのだから、日本にとってもアメリカにとっても色々と皮肉なものだ。アメリカの人たちも、和を持って世界と接していきたいと思うのだろう。そのためにも武士道を学び、広めたかったのかも知れない。この猫の目にはそう思えた。

 

【参考動画】


the last samurai trailer