『トワイライト ささらさや』
公開:2014年11月8日(日本映画)
上映時間:114分
監督:深川栄洋
製作:中山良夫
脚本:山室有紀子、深川栄洋
撮影:安田光
編集:阿部亙英
音楽:平井真美子
出演:新垣結衣、大泉洋、福島リラ、富司純子、波乃久里子、藤田弓子、中村蒼、つるの剛士、寺田心、小松政夫、石橋凌
【あらすじ】
結婚をして子供も生まれやっとこれからという時に交通事故で亡くなってしまった落語家のユウタロウは、未亡人となった妻・サヤと子供を心配するあまり成仏できずに幽霊となってしまう。自分の葬式にて、ずっとケンカ別れしていた父親が現れると、生まれたばかりの我が子をサヤから引き離して跡取りにしようとするので、ユウタロウは落語の師匠に憑依し、サヤと子供を逃がすのであった。逃げたサヤたちが新たに住み始めた場所が「佐々良(ささら)」という田舎町であった…
レビュー目次
死んで幽霊になって愛するものを守る話
原作は加納朋子氏による小説だそうで漫画にもなっている。この映画版ではいきなり死んでしまう夫の名前や職業が映画オリジナルであるため、別作品として観ることもできるようだ。
映画版しか観ていない意識低い系の猫の私には、夫が落語家であるこの設定こそが全てであるため、原作との違いというものに頓着がない。おかげでじっくりと鑑賞できた。意識の低い呑気な性分も、こういうときにたいそう役に立つものである。
さて、死んだ人間が幽霊になって、愛する人の側にい続け、その者の危機やトラブルの際に手助けする物語は過去にもいくつも作られてきている。少し前の映画で言えば『ゴースト/ニューヨークの幻』などがその一例である。たいがい幽霊になった者は愛する相手からは見えない。そして何かしらの媒体を介して、愛するものとコンタクトを取っている。本作もその例に漏れず、嫁のサヤにはまず見えず、幽霊が見えてしまう人に憑依してはサヤを助けたり、物申したりしている。ただし、憑依できるのは少しの間だけで、おまけに免疫ができてしまうとのことで一度憑依した相手には二度できない。このあたりの設定は独自色を出している。
落語のように基本は滑稽
夫の設定が落語家で喋り方が噺家口調の癖のあるものだからか、いきなり死んだり、幽霊になったり、嫁が危機を迎えたりの展開もちっともシリアスにはならず、全編を通して喜劇のような味わいである。
特に、憑依された相手が急に噺家口調で喋りだすあたりが滑稽である。それまでヨボヨボだった師匠役の小松政夫氏がぴんしゃんしてみたり、痴呆のふりをしていた近所のおばちゃん役である富司純子氏が女性でありながら男のような勢いで喋ったり、ささらで知り合った喋らない子供役の寺田心くんが大人じみたことを言い出したり、どれも役者の演技や個性が光っていて、ついついツッコみたくなるほど愉快であった。
夫婦の愛と家族の愛
物語は確かに幽霊の夫が嫁のサヤの危機を助けていくが、危機と言ってもどれも言うほど大した危機ではなく、頼りない嫁への夫の過剰な心配であったり嫉妬であったりが一種のストレスとなって夫に危機として見せている。おかげで憑依したあとに泣けるような心の通じ合いもあれば、夫婦喧嘩もよくしている。その夫婦喧嘩も二人がいっぱしの夫婦になるための儀式のように解釈されるから、視聴者からすれば結局夫婦の愛を見せつけられている。
愛といえば、近所のおばちゃんたち三人も、時に嫌味を言ったりするものの赤ちゃんが好きでサヤ親子を助けてくれている。友だちになった水商売をしているシングルマザーのエリカもおばちゃんたち三人とワイワイやっている。家族を幼い時に亡くし、家族がいなかったサヤにとって、ささらの人たちが家族のようでもある。
あの、サヤから子供を引き離そうとしていた夫ユウタロウの父にしても、夫が言うほどの冷酷な男ではない。むしろ家族思いの男であるとわかるのだから、視聴者からすれば今度は家族愛を見せつけられる形となろう。
母親になればどんな女性も一度は不安になるであろう。それがシングルマザーとなれば尚いっそうであるかもしれない。しかしそれでも、世の中言うほど薄情なものでもなく、気がつけば色んな所で愛情を享受できるもので、我が子にもその愛情を注いでいけば、かかる不安というものも不安ではなくなるのではないかと思われてくる。
後半、ユウタロウとその父とのエピソードを観ていると、親子の情というものも根っこでしっかり繋がっているもので、表面の薄情ほど薄情ではなく、絆も緩くないことがわかる。世の中の父親もまた父親であることに不安になることがあったとしても、子への愛情を疑う必要はないのであろうと、本作を見ていて思われた。
もっとも、その親子の愛情を知るのが死んで幽霊になってからなのだから、同作はある意味反面教師として観るのが正しいのかもしれない。
死ぬ前に気づけよと、そういうことである。